プロフィール

GONBE

おなまえ:GONBE

むれ源平石あかりロード

カテゴリー

カレンダー

01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -

過去ログ

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事

リンク

最近のコメント

最近のトラックバック

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

牟礼のまちだより
石の町・源平の町「香川・牟礼」の文化、芸術 そしてなつかしき風景(昔の写真)「むれ源平まちづくり協議会」「石あかりロード」の情報をお伝えします。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

昭和47年の風景
ご近所で皆さんから「パパさん」と慕われていたKさん。

そのKさんの残してくれた昭和の写真をたくさんいただきましたのでご紹介。

昭和47年1月3日  「屋島山上より牟礼 志度を望む」
昭和の写真1
42年前ということです。

拡大。
昭和の写真2

もうちょっと拡大。
昭和の写真3

塩田は隆下式の最後ですね。

田んぼばっかりで、民家はまばら。

貴重な写真をありがとうございました。
スポンサーサイト
『宝蔵院の渡し』のお話
先日、とあるお方から『宝蔵院の渡し』という話を聞きました。

江戸時代、木太町の詰田川にあった「船渡し」のことです。
そして、宝蔵院とは長尾にあるお寺のこと。

10km以上離れた長尾にあるお寺の名前が付いているって不思議ですよね。

ということで、私が聞いたその由来をご紹介。

江戸時代のこと。宝蔵院のある住職は毎月一度、高松藩主に出向いていたそうです。
お城からの帰り道に処刑場(たぶん今の刑務所付近)の前を通ると人だかり。
死刑囚が打ち首の刑を受けるところに出くわしたのでした。
住職さんは「私の前で殺生はさせない」と罪人を引き取って、お寺に連れて帰ったそうな。
その時代は、高僧であったその住職さんは権力強大だったため罪人を引き取るのも可能だったようです。

どうやら処刑の日や時間が月に一度のお城参りの帰宅と重なることが多く、罪人を引き取ることが二度三度と重なるようになりました。

そのことを知った城主。
住職が処刑場の前を通らないようにと、別の場所に「渡し船」を用意し、道を変えさせたのでした。

そして、その「渡し」の場所が「宝蔵院の渡し」といわれています。

こちらが、現在の「宝蔵院の渡し」の場所。小さい碑が建っています。
宝蔵院の渡し3
JR高徳線の鉄橋の北側です。

そして、昨日。木太町郷土史で「宝蔵院の渡し」を調べてみるとありました。
宝蔵院の渡し1

一部拡大。
宝蔵院の渡し2
私が聞いた話とは少し違っていますね~。
お坊さんの名前は桂洞法師というそうです。
こちらでは、「私が通る時には処刑をしないでほしい」と法師が藩主にお願いしたとなっています。

ちと違いますが、大筋はいっしょ。
近くを通ったら碑を見つけて、こんな話を思い出してくださいませ~~。



昔の絵葉書から
ご近所のFさんからプレゼントしていただきました。

医王寺1

福島県 医王寺の戦前の絵葉書です。

源氏の武将 佐藤継信公ゆかりのお寺、佐藤家の菩提寺です。

その中から1枚。

こちらが、佐藤継信公、忠信公の墓所全景。
医王寺2

さて、現在はどう変わっているのでしょうね。
昔の絵葉書から@瀬戸内海国立公園制定記念
今年で瀬戸内海国立公園が指定されて80周年。

3月16日から県内各地で記念の関連行事が始まります。

こちら参照:http://www.pref.kagawa.jp/seto80/

うちのコレクションに瀬戸内海国立公園制定記念の絵葉書があったのでご紹介。

こちらです。
国立公園1
「地心中園 公立國の海」

当時の高松市の人口は84,888人、世帯数は18,445軒ですね。

ちなみにこの絵葉書、私の祖父宛てに年賀はがきとしていただいたものです。
国立公園2
消印は「9-1-1 前0-8」。切手は1銭5厘でした。
昔の絵葉書から
戦前の絵葉書から~。

タイトルは『高野山出張所禮堂基礎工事杭打記念撮影』。

大正四年十一月五日の日付が入っています。

高野山1

高野山出張所って、築地にある高野山讃岐別院のことと思われます。

ちと拡大。

高野山2
記念撮影ということで、手を休めて整列中ということでしょうか。

相当、デカイ建物だったのでしょうね。

ちなみに、現在の讃岐別院の建物は戦後のものだと思います。

昔の写真から
去年の11月11日のブログにUPした昔の写真。

昭和11年2月頃久通り

昭和11年2月頃の久通りでの写真で撮影場所が判明ということでした。

去年の秋に同じ場所から写真を撮ったのですが、季節が違ったので、もう一度撮ってきました。

こちらです。

2_20久通り1

横に並べれば同じ場所というのがよくわかりますね。
昭和11年2月頃久通り 2_20久通り1
昔の絵葉書から
「庵治絵葉書」 庵治村信用販売購買利用組合発行 12枚組

その中の1枚。

庵治4
「庵治石採掘場の全景並に工場」。

昭和初期ですから、大変な労力と作業だったと思われます。
昔の絵葉書から
「庵治絵葉書」 庵治村信用販売購買利用組合発行 12枚組

その中の1枚。

庵治3

タイトルは「鎌野」。 

移っている島は高島のようですね。

ということで、現地調査。

こちらが鎌野から見た高島。

庵治3-1

島は変わっていないですね。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。