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むれ源平石あかりロード2008
 

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牟礼のまちだより
石の町・源平の町「香川・牟礼」の文化、芸術 そしてなつかしき風景(昔の写真)「むれ源平まちづくり協議会」「石あかりロード」の情報をお伝えします。
牟礼のお相撲さん 二十二代木村庄之助
牟礼のお相撲さんシリーズです。
今回は「第二十二代立行司 木村庄之助(本名 泉 林八さん)」の紹介です。

泉 林八さんは明治23年3月1日 牟礼の南神の生まれ。

初土俵は明治32年6月場所(大阪相撲)。
昭和15年5月場所にて式守伊之助襲名。
昭和26年9月場所にて木村庄之助襲名。
昭和34年11月場所にて引退。
平成6年4月104歳にて死去。
二十二代木村庄之助1


泉さんが二十二代庄之助に成られてから立行司の定年制ができたそうです。
104歳という長寿でしたから、定年制が無かったなら100歳の現役行司なんて有名になっていたかもしれませんね。

この二十二代庄之助さんの一代記がこちら。
二十二代木村庄之助2
 http://www.bekkoame.ne.jp/~iitomo-i/mokuzi.html

1977年〜1980年の読売新聞社 大相撲に掲載されたものだそうです。
わずか8歳のころに奉公にだされるように行司の世界に入り、その後の行司人生が詳細に書かれています。
明治時代の相撲界の様子はおもしろいですよ〜〜。
是非、一読くださいね。

こちらが叙勲と白寿の記念に頂いた風呂敷。
白寿記念風呂敷
お相撲さんの世界のものなのか大判なので重宝しています。


庄之助さんの子息は現在東京 神田にて「庄之助」という和菓子屋さんを営んでいます。
http://www.kanda-guide.com/shop/078/index.html
東京へお寄りの際はお立ち寄りくださいね。

牟礼のお相撲さん 年寄 浅香山(第四代) 「八嶋山平八郎」
牟礼のお相撲さんシリーズです。
牟礼出身の 年寄 浅香山(第四代) 「八嶋山平八郎」。

こちらが、彼が世話人となって建立した注連注(しめばしら)。
浅香山1
場所は大町 川東の塩釜神社境内。
注連注なのですが句碑にもなっています。
右柱  人皆の朝け夕けに食ふ塩は
左柱  この塩がまの神のたま物

こちらが左裏面。
浅香山2
「東京大角力協会年寄浅香山平見平八郎敬立」
右裏面には「大正十二年十月村尾景経作歌 村尾景経敬書」と刻まれています。

本名は平見熊太郎。
大町川東の平見平六の七男として明治7年10月19日に生まれた。
初めは大阪相撲の時津風部屋に属し、「平の山」の名で明治31年5月場所三段目で付け出しで初土俵。
その後、東京の井筒部屋に移り「八嶋山」と改めた。
大正二年一月場所を最後に引退。最高位は前頭二枚目。
昭和二年没。


先日紹介した牟礼出身の第7代時津風頭取が亡くなったのが明治28年10月。
「平の山」の初土俵が明治31年5月。
重なった時期は無いのですが牟礼と時津風部屋とはご縁があったようですね〜〜。

牟礼のお相撲さん  高崎幸右衛門
先日、「第7代時津風のお墓」を紹介しました。
そのとき竹ヶ戸さんから「高崎幸右衛門」と「御殿龍」もとコメントを〜〜〜。

早速、写真を撮ってきましたよ〜〜。
こちら、高崎幸右衛門のお墓です。
高崎幸右衛門墓1
高崎幸右衛門は牟礼町大町役戸の出身。
本名は織田姓(下は不明)。力士名は玉之浦幸右衛門。
番付の初見は天保15年(1845)6月。
安政3年4月の前頭二十二枚目が最高位。
文久元年(1861)5月現役を引退。
文久3年(1863)6月「頭取(年寄) 高崎(4代目)」を襲名。
慶応元年(1865)9月17日没。

このお墓の左面がこちら。
高崎幸右衛門墓2
着物姿の像が刻まれています。
今も塩屋の北三昧墓地で眠っています。

次回は「御殿龍」を〜〜。
讃岐国名勝図会より 「喜岡城跡 喜岡寺」
るいままさんが昨日「喜岡城近辺まちあるき調査」をしたとのこと

こんな資料はいかがでしょうか?

讃岐国名勝図会より 「喜岡城跡 喜岡寺」
喜岡寺
西側に続く参道が灯篭付近でぷっつりと切れているのがなぜなのか??
不思議でたまりません・・・

もう一つ、こちらの写真。
昭和13年の高松町国道11号交差点辺りです。
昭和13年の高松町あたり
詳しいことはこちらを。
http://muremure.blog35.fc2.com/blog-entry-32.html
へぇっていうこともあり、おもしろいですよ。
諸国名所百景 讃州五剣山
五剣山の浮世絵です。
「諸国名所百景 讃州五剣山」
諸国名所百景 讃州五剣山
二代歌川広重
万延1年(1860年) の作品。

五の剣が崩落したのが宝永4年(1707年)。
富士山が大噴火した年です。

この浮世絵。大分デフォルメされていますが五の剣はちゃんと小さいですね。


昭和9年と平成19年
先日、Tさんというお方からメールをいただきました。
それはこの写真を見てのこと。
八栗駅西側より南を望む(昭和9年)
「うちの2階からとったに違いない」ということです。
この写真は昭和9年源平屋島合戦750年祭のもの。
詳しいことはhttp://muremure.blog35.fc2.com/blog-entry-31.html参照。
そして、2階から撮影した現在の写真を送っていただきました。
こちらです。
八栗駅西側より南を望む(平成19年)
昭和9年から73年経ての変貌ぶり。
変わっていないのは線路と王墓ぐらい。
唖然とさせられます。

そして、現在の写真で写っている川は今は役目をなしていません。
よ〜く見てください。
線路の下で川がなくなっています。(わかるかなぁ)

この川は大雨になるといつも氾濫する暴れ川。
30年ぐらい前に河川改修し、川を西側に移動したのです。
昔の写真の人が通っている道路あたりが今の川になっています。
川が途中でなくなって鉄橋が残っているなんて珍しい場所です。
近くによったときはよ〜く観察してみてくださいね。
ちょっとだけ「不思議な場所」ですから。。。

五剣山勝景 その5 肩の口より西方屋嶋及女木・男木島を望む
ネタがないときは「なつかしき風景」。
ということで「五剣山勝景 その5」です。
タイトルは「肩の口より西方屋嶋及女木・男木嶋を望む」
五剣山勝景 その5
また、新しい呼び名が出てきました。「肩の口」。
どこなんでしょう????

前回の「継子嶽(ままこだけ)」
先日、八栗寺の住職さんに「『「継子嶽』って聞いたことあります??ってお伺いしました。
返事は「はじめてや〜〜」
住職さんも聞いたことがないって言ってます。

この絵葉書を作ったときに勝手に付けた名前なのか??
それとも、忘れ去れた名前なのか???
謎は深まるばかりです。

五剣山勝景 その4 継子嶽より志度湾を望む
五剣山勝景 その4 でございます。
タイトルは「継子嶽より南方志度湾を望む」。
五剣山勝景  その4 継子嶽より志度湾
このタイトルに出てくる「継子嶽」。
なず、読み方。なんてよむのでしょ〜〜??
素直に読めば「ままこだけ」。
「ままこ」の意味は「親子の関係にはあるが、血のつながっていない子」。
ということで、「継子嶽」は五剣以外の頂をさしているのだと思います。

GONBEパパもこの継子嶽は始めて聞いたといっています。
どなたか継子嶽の詳細を知っていたら教えてください。