プロフィール

GONBE

おなまえ:GONBE

むれ源平石あかりロード

カテゴリー

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

過去ログ

全記事(数)表示

全タイトルを表示

最近の記事

リンク

最近のコメント

最近のトラックバック

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

牟礼のまちだより
石の町・源平の町「香川・牟礼」の文化、芸術 そしてなつかしき風景(昔の写真)「むれ源平まちづくり協議会」「石あかりロード」の情報をお伝えします。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『宝蔵院の渡し』のお話
先日、とあるお方から『宝蔵院の渡し』という話を聞きました。

江戸時代、木太町の詰田川にあった「船渡し」のことです。
そして、宝蔵院とは長尾にあるお寺のこと。

10km以上離れた長尾にあるお寺の名前が付いているって不思議ですよね。

ということで、私が聞いたその由来をご紹介。

江戸時代のこと。宝蔵院のある住職は毎月一度、高松藩主に出向いていたそうです。
お城からの帰り道に処刑場(たぶん今の刑務所付近)の前を通ると人だかり。
死刑囚が打ち首の刑を受けるところに出くわしたのでした。
住職さんは「私の前で殺生はさせない」と罪人を引き取って、お寺に連れて帰ったそうな。
その時代は、高僧であったその住職さんは権力強大だったため罪人を引き取るのも可能だったようです。

どうやら処刑の日や時間が月に一度のお城参りの帰宅と重なることが多く、罪人を引き取ることが二度三度と重なるようになりました。

そのことを知った城主。
住職が処刑場の前を通らないようにと、別の場所に「渡し船」を用意し、道を変えさせたのでした。

そして、その「渡し」の場所が「宝蔵院の渡し」といわれています。

こちらが、現在の「宝蔵院の渡し」の場所。小さい碑が建っています。
宝蔵院の渡し3
JR高徳線の鉄橋の北側です。

そして、昨日。木太町郷土史で「宝蔵院の渡し」を調べてみるとありました。
宝蔵院の渡し1

一部拡大。
宝蔵院の渡し2
私が聞いた話とは少し違っていますね~。
お坊さんの名前は桂洞法師というそうです。
こちらでは、「私が通る時には処刑をしないでほしい」と法師が藩主にお願いしたとなっています。

ちと違いますが、大筋はいっしょ。
近くを通ったら碑を見つけて、こんな話を思い出してくださいませ~~。



コメント

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


トラックバック
トラックバック URL
http://muremure.blog35.fc2.com/tb.php/3247-023b8bcb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。