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むれ源平石あかりロード

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牟礼のまちだより
石の町・源平の町「香川・牟礼」の文化、芸術 そしてなつかしき風景(昔の写真)「むれ源平まちづくり協議会」「石あかりロード」の情報をお伝えします。
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昔の絵葉書
ネタがないので、昔の絵葉書を紹介。

庵治1

「庵治絵葉書」 庵治村信用販売購買利用組合発行。12枚組です。

今日はこちらを。

庵治2

「源平古戦場 船隠」

時代は昭和5年の可能性大です。

こちらが、現在。

庵治2-1

海岸線は変わっていないようです。


昔の洲崎寺
昔の絵葉書を引っ張り出して見ていたら出てきたのでご紹介。

洲崎寺

さて、何時ごろなのか?

東側にある庵治街道は昭和38~9年ごろに出来たと聞いているので、それより前です。

門や松の大木はなくなっていますが、建物は昔のままです。

撮影場所 判明@牟礼の戦前写真
まずは、こちらの懐かし写真を~~。

昭和11年2月頃久通り

この写真はご近所の亡きDさんからいただいたもの。

昭和11年2月の撮影だそうです。

撮影場所が不明だったのですが、昨日判明。うれしいですね~。

その場所はこちらです。

久通り1

でかい木は柿かと思っていたのですが実際は栴檀の木だそうです。

この道は、一番古い庵治街道。

当時はちょっとした幹線でしたから人通りも多かったんですって。

ご近所のおばあさんが懐かしそうに話してくれました。
牟礼・大町を納めた田井城主のお墓
白羽神社の南側の道を登った突き当たりに牟礼の田井城主のお墓があります。

こちらです。
墓1

左の多層塔と五輪塔は城主の中村氏宗夫妻のお墓。石は凝灰岩。

右の五輪塔は中村宗卜(むねしめ)のお墓。石は豊島石。

見ての通り、柔らかい石で作られているので傷んでいます。

室町時代に牟礼・大町の領主として氏宗が田井城に移ってきたと言われています。

歴史好きのお方は見に行ってください。400年以上前の趣あるお墓ですよ。
ことでん開業100年@NHK ゆう6かがわ
本日のNHKの夕方のニュース「ゆう6かがわ」の特集は「ことでん開業100年」です。

明治44年11月東讃電気軌道(今のコトデン)が今橋~志度間に開通しました。

この写真は、そのときの開通記念電車「花電車」の写真です。
花電車

本日の特集でも紹介されますので見てくださいね~。
牟礼の【小字】
牟礼町の歴史を振り返ると
明治23年に牟禮村、大町村、原村の3村が合併し、牟禮村に~
昭和37年に牟禮村から牟礼町に~

ということで、牟礼町は3村が合併したので【大字】は牟礼、大町、原の3つがあります。
高松市との合併により現在の住所は【大字】は消去され、牟礼町牟礼、牟礼町大町、牟礼町原となりました。

この【大字】より細かく分かれたのが【小字】。

先日、この【小字】が記された地図を見せていただきました。
こちらです。
小字
見て、びっくり。聞いたことがない地名がいっぱいありますよ~。
まずは、「大字牟礼地区」
・北山田  ・久通   ・浜    ・宗時
・落合   ・宮北   ・振栗   ・川原
・源氏   ・反熊   ・下窪   ・岡
・春ノ木  ・堀越   ・山田   ・仲代
の16地区。
この小字の宮北は現在の勝仁あたりみたいです。

「大字大町地区」
・丹僧   ・中代   ・上川西  ・下川西
・役戸   ・羽間   ・荒谷   ・鎧田
・塩屋   ・山奥   ・金山   ・川東
の12地区。

「大字原地区」
・城一   ・上井手西 ・下井手西 ・井手東
・中山田  ・竿田   ・石ヶ町  ・上所
・辻    ・南山田  ・山田
の11地区。
原地区にいたっては現在の自治会名と同じものはなし。

小字2
この【小字】は明治時代の呼び名のようです。

時代によって、変わっていくもんなんですね~~。
  




F邸の燈籠
ご近所のF邸の燈籠です。
3_8燈籠
三葉葵の紋が刻まれています。
銘文は~

奉献 石燈籠一基
    東叡山  厳有院殿尊前
    豊後国佐伯城主
    延宝九辛酉年五月八日
    従五位下安房守藤原姓毛利民高重



東叡山とは上野の寛永寺のこと。
厳有院とは第4代将軍 家綱の院号のこと。
つまり、家綱の菩提のために豊後国佐伯藩の第4代藩主 毛利高重が奉納したものです。

その時代の栄華を偲ばせるように堂々とした燈籠です。

数奇な運命をたどって今は牟礼の地で納まっています。


房前の大鳥居
この鳥居はどこかわかります?
2_8大鳥居
原 宮ノ前のしん治歯科の横に鎮座しています。
なんで、こんなところに、この向きで建っているのか疑問に思ったことはありません??
建立は弘化4年(1847年)。
GONBEはこの鳥居を見るたびに、江戸時代のお遍路さんの姿を思い出しちゃいます。


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